感情と論理的思考について
「ロジカルに考えろ!」ってどういうこと。
物事を論理的に考えなさいということは分かります。
例えば、お弁当屋さんが添え物の人参を星型にするのに、最初に全部輪切りにしてから星型に切る場合と、最初から人参一本の状態で星型に切っておいて、その後、輪切りにするのかでは、着る回数が大きく異なります。
つまりは工数が違う=費やす時間が変わってくるということですよね。
なので、物事は論理的に考えた方が社会的にも個人的にも得だよね。ということはよく分かります。
でも、なんか世の中って「論理的」が正しくて、「感情的」が間違えのような捉え方をしていませんか。特に最近。
その原因は「もっとちゃんと考えろよ」レベルの話を、論理的思考を持っていない人が自分は論理的思考の持ち主であるかのように振舞いたい。思われたい。そんな“しゅうもない”ことで、このフレーズを軽率に使いすぎたことが一つの要因だと思います。
そもそも、論理的思考の持ち主は抽象的な「ロジカルに考えろ!」なんて言わないですからね。
あともう一つは、"人"と"考え"をゴチャゴチャに混ぜているケースです。
例えば、「感情」だけで物事を理解しようとする人のことを人はバカとかアホと言います。でもこれって、「感情」が悪いわけでも、「論理」よりも劣っているわけでもないのですよね。
悪いのは”人”ですよね。
少し話が反れますが、こんな話があります。
第二次世界大戦のナチス政権下のときにドイツで実施された「T4作戦」というものがありました。
この作戦は日本ではあまり知られていないのですが、600万人以上のユダヤ人犠牲者を出し、「人類史上最大の悲劇」、ホロコーストの前に、およそ20万人ものドイツ人の精神障害者や身体障害者、回復の見込みがないとされた病人たちが安楽死させられたというものです。そして、その時のガス殺、死体焼却、施設のカモフラージュに関する技術が、その後のホロコーストで利用されたという話です。
考えたくもない話ですが、戦争時に兵士にも、作業員にもなれずただ、飯を食らう人達を、論理的思考だけで捉えると、無駄と考えてもおかしくないですよね。で、彼らが一番役に立つ方法を論理的考えた結果・・・
何が言いたいのかというと、その時の彼らが「我々は物事を論理的に考え、いつも正しい答えを導き出す世界で最も優れた人種である。」という慢心と、盲目的なロジカル至上主義になっていなかったかということです。
もし仮に、そこで人間としての「感情」を軽視または押し殺すことなく、みんなが大きな声で「人として間違えている」と主張することが出来たら、このようなことは起きなかったかもしれません。
そしてドイツ人はこの戦争から多くのことを学び、現在においてはたとえ、ひとりであっても他人の意見に流されることなく、自分が正しいと思うことを主張する教育を行っているようです。
|まとめ
人間は感情の生き物です。
どれだけ論理的に正しいことを言っている人がいても、その人の言っていることが心を震わせなければ、頭では理解しても、人は行動を起こしません。
そして、「感情」と「論理」はお互いがブレーキの役目を果たします。
感情的にはあいつを殺してやりたいけど、論理的はその後のデメリットの方が大きい。
論理的には一番効率の良い方法だけど。感情的にはヤダ。やりたくない。
感情に偏っても論理に偏っても馬鹿になります。
つまり『感情と論理は同列に扱わなければならない。』というお話でした。
またね~