中途半端な高校に行くなら、N高に行け! Part1~時間編~

『多くの人がリスクと感じ、本人が楽しいと思えることには、チャンスがある。』

 

まだまだ、多くの人たちが、通信制高校不登校の子供たちが通う高校と思っています。そんな理由から、通信制は全日制よりも劣っていると考える、親御さん、子供たちは少なくありません。

 

不登校の子供たちが行く通信制が、不登校の子供たちが、全日制やその他の子供たちと比べて何が劣るのでしょうか。確かに、コミュニケーション能力は低そうです。他には、学力ですか。それは違いますよね。一昔前であれば、このロジックは成立しました。学校の授業も受けられず、塾にも行けないという環境であれば、周りの学力に付いていくことは困難という状況だったからです。

しかし、今ではオンライン授業が受けられます。しかも、リクルートスタディサプリのように、優秀な先生の授業が月額2000円で受けられるのです。ですので、コミュニケーション能力が低い子供は学力が低いというロジックはもう成立しません。

 

そして、今、N高等学校という通信制高校を第一希望として進学する子供たちが増えていることをご存知でしょうか。N高等学校は生徒の入学希望人数の多さから、新たにS高等学校という姉妹校を茨城県つくば市に開校しました。

 

今なぜ、N高等学校がここまで人気があるのか。

 

いくつかの理由を、シリーズ形式で書いていきます。

今回はPart1として、”時間”についてです。

 

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「学校の授業は学校で、大学受験勉強は塾で!」

大学進学を考えている生徒にとって高校に通う目的は、高校卒業資格を取得するため。そして、塾に通う目的は希望の大学受験に合格するためとなります。

そして、この2つを両立させているのが進学校になります。

進学校でない高校では、進学を前提にカリキュラムを組んでいません。なぜなら、多くの生徒が、有名難関大学への進学を前提に入学してきてないからです。なので、進学校でない高校の生徒が有名難関大学へ進学したいと考えた場合、塾に行ったりして個人で頑張ってください。となるわけです。ということは、進学校へ行けなった子供たちは、「学校の授業は学校で、大学受験勉強は塾で!」となり、より一層、効率の悪い勉強方法を迫られるのです。

だから、高校で進学校に行けそうにない、行けなかった子供たち、でも有名難関大学へ行きたい子供たちこそ、N高等学校に入るのはアリです。N高等学校では、卒業後の進路として有名難関大学の合格を目標に学習計画をたてるコースがあります。そして、実際に成果も上げてきています。

 

「将来のやりたいことを見つけなさい!」

大人は、子供たちによくこの言葉を口にします。 でも、そんな大人たちの多くが、やりたいことををやっていません。だからこそ、子供たちには・・・という気持ちも分かりますがそんな時間、どこにありますか。学校の授業にイベント、部活動、そして塾。日本の高校生たちは大忙しです。そのような中で、やりたいこと見つけることって至難の業です。

N高等学校では、高校卒業に必要な単位数、74単位以上を修得すれば、余計なことをする必要はありません。有名難関大学に行きたければ、更に勉強をすれば良いですし、プログラミングやゲーム、音楽などに興味がある生徒は、それぞれに時間を使うことができます。そしてN高等学校には、自分がコレッやりたいと思ったときにできる環境があるのです。これって凄いことだよね。

 

 では、近いうちに『中途半端な高校に行くなら、N高に行け!Part2~変化~』も書くね。

 

またね~

「天才」ってだれ?

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シュリニヴァーサ・ラマヌジャンって人を知っていますか。

インドの数学者です。映画『奇跡がくれた数式』を観た方は誰もが知っています。彼が天才であるということを。

 

そして、私はこの映画を子供がいる親御さんに是非見ていただきたいと思っています。理由は、過度な期待を自分の子供にすることが無くなるからです。

 

多くの親が天才を知りません。つまり基準が無いまま漠然と我が子に期待しているのです。ちょっとしたことで「我が子は他の子と違うのでは?」と思うことはよくあることです。

 

 

例えば、

 

 

2×6=?

 

 

正解は12ですよね。

 

 

では次に、この2×6=12の説明をしてください。

 

 

2+2+2+2+2+2=12

 

 

ですよね。

 

 

しかし、ラマヌジャンはこのような説明ができなかったのです。

なぜなら、彼にとって2×6=12だから。(実際にはもっと難しい数式です)

 

Excel で=2*6と入力したら12と表示されますよね。

でも、パソコンが行っている処理は2+2+2+2+2+2=12です。

性能が高いパソコンは、この足し算の計算が早いだけで、掛け算で処理はしていません。ということは、多くの親御さんが思い込んでいる、天才とは、足し算の処理速度が速い人をイメージしているのではないでしょうか。だから、いっぱい同じような問題を解かせますよね。

 

でも、もし、この映画を見終わった後も、まだ自分の子供に天才としての希望を持たれるのであれば、本当にその子はその分野において天才なのかもしれません。

 

ただ私は、天才の基準を知っていれば、間違えた期待を子供に押し付けることは減り、子供たちが、より多くのことにチャレンジできるのではないか、そして、いろんな才能が開花するのではないかと考えています。

 

親は訳の分からないものに期待し、勝手に周りと比べ、勝手に不安になり、その不安を隠すために我が子や周りの人に不満や怒りをぶつけます。このサイクルって誰も幸せになれないんですよね~。というお話でした。

 

またね~

感情と論理的思考について

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「ロジカルに考えろ!」ってどういうこと。

 

物事を論理的に考えなさいということは分かります。

例えば、お弁当屋さんが添え物の人参を星型にするのに、最初に全部輪切りにしてから星型に切る場合と、最初から人参一本の状態で星型に切っておいて、その後、輪切りにするのかでは、着る回数が大きく異なります。

つまりは工数が違う=費やす時間が変わってくるということですよね。

 

なので、物事は論理的に考えた方が社会的にも個人的にも得だよね。ということはよく分かります。

でも、なんか世の中って「論理的」が正しくて、「感情的」が間違えのような捉え方をしていませんか。特に最近。

 

その原因は「もっとちゃんと考えろよ」レベルの話を、論理的思考を持っていない人が自分は論理的思考の持ち主であるかのように振舞いたい。思われたい。そんな“しゅうもない”ことで、このフレーズを軽率に使いすぎたことが一つの要因だと思います。

 

そもそも、論理的思考の持ち主は抽象的な「ロジカルに考えろ!」なんて言わないですからね。

 

あともう一つは、"人"と"考え"をゴチャゴチャに混ぜているケースです。

例えば、「感情」だけで物事を理解しようとする人のことを人はバカとかアホと言います。でもこれって、「感情」が悪いわけでも、「論理」よりも劣っているわけでもないのですよね。

 

悪いのは”人”ですよね。

 

少し話が反れますが、こんな話があります。

第二次世界大戦ナチス政権下のときにドイツで実施された「T4作戦」というものがありました。

この作戦は日本ではあまり知られていないのですが、600万人以上のユダヤ人犠牲者を出し、「人類史上最大の悲劇」、ホロコーストの前に、およそ20万人ものドイツ人の精神障害者身体障害者、回復の見込みがないとされた病人たちが安楽死させられたというものです。そして、その時のガス殺、死体焼却、施設のカモフラージュに関する技術が、その後のホロコーストで利用されたという話です。

 

考えたくもない話ですが、戦争時に兵士にも、作業員にもなれずただ、飯を食らう人達を、論理的思考だけで捉えると、無駄と考えてもおかしくないですよね。で、彼らが一番役に立つ方法を論理的考えた結果・・・

 

何が言いたいのかというと、その時の彼らが「我々は物事を論理的に考え、いつも正しい答えを導き出す世界で最も優れた人種である。」という慢心と、盲目的なロジカル至上主義になっていなかったかということです。

 

もし仮に、そこで人間としての「感情」を軽視または押し殺すことなく、みんなが大きな声で「人として間違えている」と主張することが出来たら、このようなことは起きなかったかもしれません。

 

そしてドイツ人はこの戦争から多くのことを学び、現在においてはたとえ、ひとりであっても他人の意見に流されることなく、自分が正しいと思うことを主張する教育を行っているようです。

 

|まとめ

人間は感情の生き物です。

どれだけ論理的に正しいことを言っている人がいても、その人の言っていることが心を震わせなければ、頭では理解しても、人は行動を起こしません。

そして、「感情」と「論理」はお互いがブレーキの役目を果たします。

感情的にはあいつを殺してやりたいけど、論理的はその後のデメリットの方が大きい。

論理的には一番効率の良い方法だけど。感情的にはヤダ。やりたくない。

感情に偏っても論理に偏っても馬鹿になります。

つまり『感情と論理は同列に扱わなければならない。』というお話でした。

 

またね~

結果と過程について

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|過程が大事ってホント?

 

よく、「結果よりも過程が大事」って言うけど、これって本当?

私はこれ、半分正解で、半分間違っていると思っています。

主語を付けてみると分かりやすいので、主語を付けて説明していきます。

  1. 「人は結果よりも過程が大事」
  2. 「人は過程よりも結果が大事」
  3. 「データは結果よりも過程が大事」
  4. 「データは過程よりも結果が大事」

 

どうです!?みなさんはどれが正解だと思いますか。

 

 

正解は2番と3番です。

順番に説明していきますね。

 

 

「人は過程よりも結果が大事」

 

 

結果が大事なのは人です。

いくら頑張っても結果が出なければ、ダメなものはダメ。

プロスポーツ選手のなるにしても頑張ってなれるものではありません。

このことは子供から大人までほぼ全員が知っている事実です。

それでも子供を頑張らせるために大人は「頑張れば必ず結果は付いてくる。」とか、「頑張っていればいつか誰かが見ていてくれる。」とか事実で無いことをあたかも事実かのように言います。そして、最後は「結果はどうであれ、頑張ったことは無駄にならない」と無責任な言葉で締めくくります。

 

だったら最初から、「結果を出せ。結果が出ないなら方法を変えろ。それでもダメなら見切りを早くしろ。そして次の目標に進め。」

一見冷たい感じがしますが、こっちの方が良くないですか。

 

 

次に

 

「データは結果よりも過程が大事」

 

 

「えっ?イヤイヤダメでしょ。」と思いますよね。でもこれ本当なんです。

例えば、「Amazon Go」。

Amazon Goは言わずと知れた無人コンビニシステムです。

Amazon Goはカメラとマイクを使ってお客が何を買ったかを把握します。

そして、ここで重要なことは、“ユーザーの手”を把握するということです。

 

例えば、あなたがコンビニの店長だったとします。

お昼にお客さんが来店し、まず、500mlのお茶を手にしました。そして、おにぎりコーナーに向かいましたが、残念ながらおにぎりは売り切れでした。お客さんは仕方がないので、500mlのお茶を元の陳列棚に戻し、コーヒーとサンドウィッチを購入しました。

結果だけを見れば、お客さんはコーヒーとサンドウィッチを買いました。

ですので、あなたは、その結果から、次の日のサンドウィッチとコーヒーの陳列数を増やすことにしました。

 

そして、サンドウィッチとコーヒーは売れ残り、おにぎりが売れるという機会損失をしてしまいました。本来は、おにぎりの陳列数だけをを増やすだけで良かったのに・・・

 

というように、データは結果よりも過程が大事ということがお分かりいただけたでしょうか。

 

そして、Amazon Goは、正しい結果を出すために正しい過程をなによりも重要視しているということです。

 

|まとめ

私たち人間は目的と手段をよく間違えます。

だからこそ、人は過程よりも結果を意識しなければなりません。

データは結果だけで判断すると、判断を間違えます。

だからこそ、必ず過程も見なければならないというお話でした。

 

またね~